「ディスる気は無いけど、率直に言ってゲームの楽しさがまったくわかりません」という人と話す機会があったのでメモ。
いわゆるコンピュータ ゲームを話題にしています。ちなみに後半は あまりやさしくないかもw
ゲームの何が楽しいの?
ゲームって、リアル(現実)のある部分を切り取って、コンピュータ上で抽象化したものです。なので、例えばサッカー ゲームを遊んでいるとき、そのゲームの楽しさはサッカーの楽しさと同じです、だいたい。ドラクエを遊んでいるとき、その楽しさは未知の世界を冒険する楽しさと同じだと思ってください(想像してください)。ゲームの楽しさは、リアルの楽しさとどこかしら繋がっています。
(ウィキペディアより)
いやいやいや サッカーとゲームは違うでしょ
サッカーは面白いと思うけど、○○ていうサッカー ゲームはつまらなかった。はい、そんなこともあるでしょう。
製作者の抽象化が下手だったか、モチーフがサッカーというだけでサッカー ゲームではなかったか(例えば「バロンドール殺人事件」という推理小説があったとしたら、それはサッカーの楽しさを味わうものではなく、ミステリーの楽しさを味わうもののはずです)、ゲーム独特のインタフェースが馴染まないとか(個人によって情報の受け取り方に好みがあるのは当然です。まったく同じストーリーでも、小説だと面白いけど映画だとつまらない人がいたり)、原因はいろいろ考えられます。
確かに、リアルの実体験でしか得られない楽しさもあるけれど、感触とか、匂いとか、場合によっては痛みとか。個人的には疲労を楽しいと思う感覚は理解できませんけれども。ゲームにも、ゲームでしか得られない楽しさがあります。プレイヤーの操作に対する音や映像のリズミカルな反応や、時空を超えた他人との交流とか。
サッカーに面白い試合とつまらない試合があるように、面白い歴史小説とつまらない恋愛小説があるように、ゲームにも面白いゲームとつまらないゲームがあります。つまらないゲームや小説、サッカーがあるからといって、それらが丸っとつまらないことにはならないでしょう。
というわけで、サッカーや小説の楽しさをわからない人がいるように、ゲームの楽しさをわからない人がいても不思議ではありません。でも、だからといって、ゲームがつまらなくて くだらないものだということにはならない。楽しいゲームは存在する、ということを、わかって欲しいものです。
ゲームの魅力
ゲームはリアルの一部分を抽象化したものだと書きました。
ゲームの大きな魅力、抽象化による最大のメリットを表している例を一つご紹介したいです。
(ゲームの魅力の一例で、他にも魅力は沢山あります)
ゲームとしても かなりマニアックなこれを例として挙げるのはどうなの、と正直ぼくも思います。
でもこの世界の奥深さはまったく理解されていないと思うので、敢えて書きます。
ゲームって、意外に あなどれないのですよ!
話題にするのは対戦格闘ゲーム(通称: 格ゲー)です。
例えば「ストリート ファイター」というタイトルや、リュウ、ケン、春麗、ガイルといった登場キャラクター名に聞き覚えのある人は多いと思います。
ゲームの基本を簡単に説明すると、ボタンとレバーの組み合わせでキャラクターの移動、攻撃、防御を操作し、相手の体力バーを先にゼロにすることを競うゲームです。
格ゲーの楽しさは格闘技の楽しさと同じだ、と言いたいわけではありません。
格ゲーの楽しさは、抽象化されているが故に、リアルでは なかなか味わえない、純粋な勝負の楽しさや面白みを体感できる点にあると思います。
純粋な勝負である点を説明した翻訳記事を引用します。
原文は英語、著者は David Sirlin さん、格ゲーの元世界チャンピオンで、勝つために戦うということを説いています。訳者は有名な日本人ゲーマーのスパ帝さんです。
ゲームも、リアルをも超えた勝負の世界が、そこにはあります。
ゼロサム競技ゲームの偉大さとは、成功の度合いを計る客観的な基準を提供してくれる事だ。(中略)人生の他の側面において、例えば家庭生活とか仕事の面で、物事が前進しているかどうか計測できるだろうか?
ゲームは人生とは違う。ゲームの本質とは全てのプレイヤーに合意されたルールの集合である。ルールに同意しなければ、そのゲームを遊んでいる事にはならない。ルールは何がゲームに含まれ、何が含まれないかを定義する。ルールはどの行動が合法でどの行動が違法かを定義する。ルールはどうすれば勝ちで、どうすれば負けで、どうすれば引き分けかを定義する。ゲームの定義を書き換えて負けを勝ちと言い募るインチキは存在しない。ゲームは再定義を必要としない。負けは負けである。
ゲームを「楽しむため」に遊ぶという人もいる。この問題は本書では扱わない。私は勝つ為に戦う道のりの先にはカジュアルな「楽しみ」以上の物があると信じているが、そこを議論しても始まらない。「楽しみ」は主観的な問題だ。定義はできぬ。しかし「勝ち」は定義できる。これが我々の強みである。勝ちは明確で絶対なのだ。勝つ為に戦っている限り、完全に明瞭な目標と、客観的な成長の指標が得られる。料理の達人がいたとして、その分野で世界一だとどうしたら分かるだろうか? それを偏見無しに言える者がいるだろうか? 競技ゲームでは事情が違う。全ての対戦相手を安定して倒せるかどうか、それだけだ。
実はこれは格ゲーだけでなく、対戦をメインとして まともにデザインされたゲームであれば、およそ当てはまります。
現実世界の勝負は、とかく不確定要素が多いものです。
例えば、ボクシングや柔道、冒頭から引き合いに出しているサッカーも。ルールは厳密に定義されていますが、それを執行するのが人間であるがために、往々にして誤審がありますし、偏見による判定の疑いを完全に拭うことはできません。
また、観戦するだけでなく、実際にそれらの競技に参加したことがあるならば、理不尽、不条理な要素に邪魔されて、「本当なら勝てたのに」と口惜しい思いをしたことが、必ずあると思います。
しかしコンピュータ ゲームは違います。
勝ち負けが明確に定義されており、どんな対戦者にも等しく適用されます。
コンピュータが、それこそ機械のように正確な判定を下し、誰もそれを覆すことはできません。
そうした冷徹なルールのもとに執り行われる勝負は、ゲーム世界でしか実現しないというのも奇妙ですが── 真に人間と人間との戦い、個人の対戦能力とプライドのぶつかり合いです。
ゲームにしか存在しない、リアルには存在し得ない純粋な勝負の世界。
そこにしかないものに、魅力を感じる人がいるのは自然なことだと思いますが、この記事を読んでくれた人はどう感じるでしょうか。

ゲームと Web と PC 全般同カテゴリの前後記事
Commentあなたのコメントをぜひ書き残してください!
意外とせんせーは勝負をしないですね@w@;って云うイメージが在りますが@w@;
って、横槍をば@w@;
って、サボリ魔にいわれとーなかって アレですね@w@;
多分ゲーム好きでも、人それぞれで、好きな方のベクトルが違うからですね、よく分からんです。
そのベクトルの細分化を人の趣向と置き換えると、人の趣味はそれぞれって、云う話なんだと思います。
せんせーがプライドをかけて勝負の世界をゲームに求めるのはええと思います。
ただ、自分はそれをやりたくは無いですね。自分がそれをやると「ゲームの世界=自分の全て」になりそうだからですね@w@;
だから、自分は人生を生き抜く為に、「ゲームはやりたい時にやりたいやつをやる」とば、ワケのわからめぇメモ書きを対句にするです@w@;
これは人の受け売りで、Magic ;the Gathering の世界では著名だった、中村 聡氏著(多分もう売ってない)の「マジック五輪の書」に業師が先に全部言ってたことだったりするんですけどね@w@;
長くなるから、ここでお終い@w@;
ゲームは単純で、パズルゲームみたいに数学的に楽しんだり
ポーカーやチェスなど戦略的に駆け引きを楽しんだり、もっと言えば
恋愛ゲームや人生ゲームとか、生きてること自体をゲームに例える人もいます。
全てをゲームに置きかえられるんですよ
パソコンゲームやオンラインゲームはその延長線上にすぎない。
実世界で言えば、マネーゲームなら株だし、ウォーゲームなら戦争?
シムシティなら都市開発、アイドル育成ゲーならAKB秋元かもね。
そうなるとゲームを楽しめない人は人生も楽しくないのかな?なんて思ったり。
>セレアさん
GW2で勝負というと tPvP ですが、全プロフェッションを Lv80 まで育てたら ぼちぼち参戦しようと思ってます^^
>通りすがりさん
そうなんですよね。
ゲームの概念自体は単純で、普段の生活にたくさん存在するのですが、ことコンピュータ ゲームになると なかなか理解されない。
コントローラを握りしめてテレビ画面に向かう姿が、ゲームで遊ばない人には どうにも格好悪く見えてしまうのかなーと思います。
そうですねー『ゲームって何が楽しいのですか?』って質問は困りますね。
楽しみ方っていうのは人それぞれですからねぇ。
興味があるなら、プレイしてみるしかないんじゃないですか?
だってさぁその人のツボがどこにあるかなんて、全く解らないもんね(--;)
Cojo3が『ここが楽しい』と言った所で、理解出来ない人は必ずいるでしょう。
趣味の世界なので自分で楽しい所を見つけないと、理解出来ないと思いますよ。
ゲームが好きなものどおしで、楽しみ方を話し合うのと、興味のない人とするのとは全くちがいますよね。(*^^*)
『Cojo3のゲームの楽しいと思う所はどこですか?』って質問なら答えようがありますけど、『ゲームの何が楽しい?』にたいして、答えようが無いように思います。
だって全てのゲームを全ての人が好きな訳では、ないのですからね。
故に『ゲームの何が楽しい?』って質問は、聞いた本人もー軽く質問したとは思うのですが、とてもいけずな質問に思えます。
俺のことだ・・・
ゲームが楽しめなくなった理由がわかった。
ありがとう
Trackback あなたのウェブページをリンク!
Trackback URL |